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庄内地方の女性が米俵を5俵担いだというのは本当か?

昔の人の身体能力はすごかったという話を聞いたことはあるでしょうか? 江戸時代、300キロ以上を1日で走った飛脚がいたとか。1854年、ペリー艦隊が来航してきて、白真弓肥太右衛門という相撲取りが米俵を背に4俵、胸に2俵、両手に1俵ずつ計8俵(約500kg)をアメリカの船に運んだとか。嘘か真か、伝説のような話を聞いたことがあるのではないでしょうか。 ここに1枚の写真があります。女性2人がそれぞれ5俵を背中に担いでいます。1俵60kgとすると300kgを担いでいることになります。一般的男性でも厳しいのに女性で可能なのでしょうか。山形県庄内地方では、戦後、労働基準法が施行されるまで、女性の運搬屋「女丁持(おんなちょうもち)」「女仲仕」がいました。重労働ではあったものの、男性よりも高い給料がもらえたそうです。 2021年パ・リーグの最多勝利を獲得したオリックスの山本由伸投手もこの写真について語っています。 「昔の女の人が米俵を担いでいる写真。担げるの?って思うじゃないですか。コツを知っているから持って運べる。人間にはそれだけの力があるはずなんです。トレーニングしているわけではないのに、生きるためにこういうことができる。じゃあ筋肉じゃない。自分の体の重心の位置を明確にすることが大事。力で持ち上げているわけではなく、うまく乗せている。投げるのも一緒だと思う」 下記の情報によると、この写真は『山形新聞』昭和59年9月29日朝刊10面庄内版に掲載された写真とのことです。 米5俵を担いでいる2人の女性の写真とともに、昭和8年から8年間、山居倉庫で女仲仕であったという女性のインタビュー記事が掲載されています。写真については、「山居倉庫に飾っているモノクロ写真の一コマ」とあり、インタビューの中で、女性が次のように話しています。「実は二俵はもみがらが入っていたんです」「あくまでも観光用の写真撮影だったんです」「当時、女では酒田一の高給をもらっていた」等々そのほか、記事では、当時、40人の「女仲仕」と呼ばれる女性たちが、倉庫前の舟着場から蔵の中まで、急な坂を行ったり来たりして、1日一人平均千俵のノルマをこなしていた旨等とともに、力試しとして一瞬だけ5俵を担いだ女性や写真のモデルとなった2人の女性は健在でいる旨等が記載されています。https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000254061 「仲仕」は船と港湾埠頭の間で貨物の積み付け積み卸しを行う者を指します。この写真は観光用の写真撮影だったことがわかります。二俵はもみがらが入っていたとはいえ、3俵は180kg以上を背負っていたことになります。 では5俵背負って運んでいた女性はいなかったのか? 実は5俵かつぎの写真は他にもあります。 これらを見る限り、5俵背負える女性はいたようです。当時としても称賛される身体能力だったようです。倉庫から大八車に載せる作業だったようなので、運ぶにせよ、短距離だったと思われます。 下記はおよそ100年前の木炭を運ぶ女性です。山道を約6km運ぶ仕事をしていたそうです。相当な重労働です。 こちらの写真はお婆さんが炭俵を5俵背負っている写真です。炭俵1俵15kgとしたら合計75kgとなります。女性なら基本2俵を背負っていたらしいので、5俵は凄まじいです。 これらの写真を見て言えるのは、重いものを運ぶ場合、背負うのが身体全体で重さを分散させることができる理想的な運搬方法ではないでしょうか。身体の中心軸から離れるほど、荷重が大きくなってしまうので、腕だけで運ぶ写真がないのは当然でしょう。 時代を少し遡れば、移動や運搬は機械に頼ることなく、身体を使って行われたことがわかります。これらの写真を見て、あらためて、昔の人たちの身体の潜在能力に驚かされます。
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