ホーム歴史「天才浮世絵師」葛飾北斎の影として生きた葛飾応為

「天才浮世絵師」葛飾北斎の影として生きた葛飾応為

北斎の娘

『富嶽三十六景』など多数の作品を残し、江戸時代後期の天才浮世絵師として名高い葛飾北斎(画号、本名は川村時太郎、のちに鉄蔵と改名)に浮世絵師の娘がいたことをご存知でしょうか? その娘の名は三女の栄であり、画号は葛飾応為と名乗っていました。

応為は幼いながらに工房を手伝うようになり、狂歌絵本『狂歌国尽』にある「大海原に帆掛船図」は栄女筆とあり、応為は『北斎になりすました女』の説に従えば14歳にして商業絵師デビューをしています。

「大海原に帆掛船図」 葛飾応為作

1893年に発行された『葛飾北斎伝』(明治期日本の浮世絵研究者である飯島虚心による著作)によれば、応為は3代目堤等琳の門人・南沢等明に嫁いだものの、南沢等明の絵の拙さを笑い、離縁されたそうです。北斎同様、食事や着物に頓着せず、その長い顎をからかって北斎からアゴと呼ばれたそうです。画号の応為は北斎が応為を「オーイ」と呼んだからという説があります。

応為の姿は北斎の門人・露木為一による『北斎仮宅写生図』に描かれています。この絵で描かれた応為は40歳頃と推定されます。

『北斎仮宅写生図』 左が応為、右が北斎
『北斎仮宅写生図』 を基に再現。すみだ北斎美術館にて展示

応為の作品

葛飾応為が残した作品は少なく、十数点ほどです。

下記の作品は『吉原格子先之図』です。西洋絵画的手法を参考にしたと思われ、光と影のコントラストを見事に描いています。オランダ人からの依頼によって描かれたものの、何らかの理由で日本に残った可能性があるそうです。

『吉原格子先之図』 葛飾応為作

『吉原格子先之図』 には落成款識(略して落款、作者を示すサイン)がありません。絵の中には提灯が3つあります。3つの文字を読むと、「應(応)」「為」「栄」という文字です。なぜ落款として示さず、隠す必要があったのでしょうか? また、中央にはかんざしは光が当たっているのに全身が暗くなっている女性がいます。格子に閉じ込められた女性の悲哀を強調しているように見えます。

2016年、葛飾北斎が描いたと思われる作品がオランダにて発見されています。西洋絵画的な手法を親娘で学んだと思われます。

『夜桜美人図』 は応為が描いた作品ですが、こちらも西洋絵画的な光と影の描き方が見事です。

『夜桜美人図』葛飾応為作

応為の作品が北斎作品に隠れている?

葛飾北斎の描いた作品の一部は、共作あるいは応為単独で描いたものだったと考える研究者もいます。

カナダ人作家のキャサリン・ゴヴィエ氏は応為を北斎のゴーストライターとして生きた女性とした小説『北斎と応為』を発表しています。ゴヴィエ氏は北斎が亡くなる4ヶ月前に描かれた『雪中虎図』があまりにも繊細なタッチで描かれていることに注目しました。数え年83歳の荒々しいタッチの自画像と比べ、余りにも異なる印象です。 ゴヴィエ氏は 『雪中虎図』を応為が描いたものではないかと考えました。

雪中虎図』 葛飾北斎作
数え年83歳ごろの葛飾北斎の自画像

絵画史研究家の久保田一洋氏は北斎の絵と応為の絵を見分ける2つのポイントを見出しました。それは「ほっそりとした指先」と「ほつれ髪」です。

『三曲合奏図』は落款に応為の名があります。この作品で描かれる女性の指先はほっそりと柔らかく女性的です。北斎の絵では女性の指先はゴツゴツと男性的となる傾向だそうです。

『三曲合奏図』 葛飾応為作

右側の女性の耳元の毛が2本はねています。応為の女性ならではのこだわりが見られます。

「美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と北斎は語ったそうです。

葛飾辰女作の作品も初期の応為による作品とする説が有力です。『朝顔美人図』は指先の細部にわたる描写、結い髪のほつれが見られます。

『朝顔美人図』 葛飾辰女作

『蚊帳美人図』は北斎作と伝えられます。久保田氏は作品中の女性の指先に注目し、応為が描いたものではないかと推測します。

落款に北斎が入った『手踊図』も応為が描いたものではないかとされます。署名の書体が異なるだけでなく、女性の手の描写が細部にわたるものとなっています。

『手踊図』 葛飾北斎作

北斎は晩年、「画狂老人卍」と改名しました。晩年の北斎の作品には老人にしてはあまりに緻密な作品もあります。久保氏は、『拷問図』『郭子儀繁栄図』『赤壁の曹操図』の描写が応為作の『関羽割臂図』の描写に類似することを指摘しています。

北斎の『唐獅子図』は北斎85歳のときの作品で、唐獅子を北斎、周りを応為が描いたとされます。

『唐獅子図』 葛飾北斎、応為 合作

北斎の落款も晩年は激しく震えて字になっていないものもあります。それでも最晩年の作品は表現力や作品数もずば抜けています。久保田氏はこれを応為がほとんど描いたものではないかと指摘します。例えば、最晩年の作品 『富士越龍図』 も複数確認されており、贋作の可能性は低く、どれも「九十老人卍筆」の署名が入っています。 「九十老人卍筆」 の作品は20点近くあり、数え年90歳では100日前後しか生きていません。死ぬ2ヶ月前には大病を患っており、最晩年でこれほどの点数と緻密な作品を描く余裕があったのかと疑問が出てきます。

キャサリン・ゴヴィエ氏 は 小説『北斎と応為』 のあとがきでロンドンの画商に取材した話を紹介しています。 その画商は応為の作品を判別する際、手のひらの関節は肉づきがよく、次第に先細りになっていく手指に注目しています。北斎のものは違うと。画商によれば、指と色使いが応為の特徴であり、雪中虎図』 、北斎晩年の虎すべてが応為の描画だと言います。オランダ画の作品群、小屏風の『鳳凰図』、岩松院『鳳凰』もすべて応為だと。

『富士越龍図』葛飾北斎作
別の『富士越龍図』
「花魁と禿」北斎工房
『女重宝記』 応為が挿絵を描いた

なぜ応為の名前を出さなかったのか?

もし、これらの作品が応為の手によるものなら、なぜ応為の名前ではなく、北斎の名前で出したのでしょうか? 

それは経済的な理由だと推測されます。単純に応為の名前で出すより、北斎の名前なら高額で取引されるということです。

しかし、その北斎でさえも貧乏でした。夜逃げ的な引っ越しもしょっちゅうでした。一説には、北斎は稼いでいた時は300石の武士と同じ稼ぎだったそうです。300石は現在なら約3千万円の価値です。それでも、北斎自身はお金にがめつく、若き日はチラシを売って小金を稼いでいたほどです。貧乏だったのは画材の購入、北斎門人の人件費、なにより絵の研究に注がれていたためだったとされます。

「この世は仮の宿りなんだよ! なんだって家なんかいるんだよ。本当の家は北に、北辰の星にあるんだ。この世で家なんぞ持っちまったら返さなきゃなんねえだけだろ。この体だって借りもんだ、違うか」

小説『北斎と応為』 より

応為の晩年

北斎の死後、応為は商家や旗本の娘に絵を指南することで稼いでいたようです。また、北斎の存命中から、枕絵版画に手塗りで彩色し艶本(春画)に仕上げて売っており、北斎死後も続けていたようです。北斎の死から数年後、応為が北斎の名で富嶽三十六景の錦絵を出版していたと記録されています。

現在知られる応為の最後の作品『女絵の下絵』は北斎ゆかりの長野県小布施町で発見されています。

小布施にある北斎館には『菊図』があります。小布施の高井鴻山の金銭出納帳に菊図を応為から買い取った記録(1853年)があります。価格は2両3分。この価格は他の北斎作品よりも高額です。この 金銭出納帳に記載された応為作の菊図こそが北斎館に展示されている北斎作の菊図なのではと指摘されています。

応為の晩年は黒船が来てからの開国など激動の時代となります。浮世絵市場も廃れていきます。応為は絵画の輸出業を手伝っていたと考える研究者もいます。

『白井多知女の遺書』には1857年夏、東海道戸塚宿の文蔵という人がお栄を招いて絵を請い、お栄は筆を持って出て行き、それ以来行方不明と記載されています。

応為の最期は小布施で亡くなったとも、石川県金沢あるいは神奈川県金沢で亡くなったとも、定かではありません。

『女絵の下絵』 葛飾応為作
『菊図』 葛飾北斎作

久保田氏によれば、 先に挙げた『吉原格子先之図』は1855年以降に制作された可能性があるそうです。もしそうであれば、1849年に北斎が死んだ後に描かれたことになり、『吉原格子先之図』の印象は大きく変わりそうです。この作品は落款を北斎とせず、提灯に隠しながらも応為の作品であることを示しています。暗く塗りつぶされた女性は、自身も才能に恵まれながらも、女性が表で活躍できない時代に生まれ、天才の父親の陰として、作品を描いてきた応為を表しているようにさえ思えてきます。

まとめ

現在の漫画家がアシスタントを使って工房のごとく制作するように、『北斎漫画』を描いた北斎も似たような形で作品を発表していたとしたら興味深いです。

応為が北斎のゴーストライターであったか否か。逆に言えば、葛飾北斎は最晩年、超人的に作品を描いたのか否か。現在、応為に関する情報はほとんどありません。今後応為に関する文献や作品が見つり、応為を覆う影のヴェールが少しでもはがされることが願われます。

「北斎は偉大な絵師だったかもしれないが、偉大な師匠ではなかった。それは私らみんなが見ていた幻だ。拠り所が必要だったってわけだ」

小説『北斎と応為』 より

参考文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%BF%9C%E7%82%BA#cite_note-19

北斎になりすました女 講談社

久保田一洋「北斎娘・応為栄女論 ─北斎肉筆画の代作に関する一考察─」、『浮世絵芸術』(117号)

北斎娘・応為栄女集 藝華書院

北斎ミステリー 幕末美術秘話 もう一人の北斎を追え! 日本BS放送

北斎と応為 上・下 彩流社

KAMUYAI編集部http://kamuyai.com
本質を突いた、長く読まれる記事を目指します。

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