中国の4大発明といえば、印刷、製紙、羅針盤、火薬が挙げられます。しかし、他に発明がなかったのかといえばそうではありません。それぞれの発明にいたるには科学的・化学的知識の集積が必要になります。
中国の歴史を見ると、印刷、製紙、羅針盤、火薬に勝るとも劣らない発明が他にもたくさんあることがわかります。今回はそのような発明を見ていきたいと思います。
目次
農業
鉄製の犂(すき)(紀元前6世紀)

農業は文明を支える基礎となるものであり、効率的な農法は多くの人口を維持するうえで必須となります。中国の犂がヨーロッパに入ると、中国の畝を使った農法および種まき機とあわせて農業革命に結びつきました。
一般的な形の犂は「アード」と呼ばれます。中国では石製の犂先が出土しており、紀元前四千年以上遡るそうです。
胸帯式馬具

紀元8世紀まで、西洋では腹帯式馬具しかありませんでした。馬が力一杯引こうとすると、喉にかかる革帯が馬の息を詰まらせ、窒息させてしまいました。そのため、荷車輸送にはほとんど利用できなかったのです。古代ローマでエジプトから穀物を運ばなければならなかったのは、イタリア産の穀物を運ぶ馬具がなかったためです。
紀元前4世紀頃、中国では胸帯式馬具が発明されました。腹帯式馬具では2頭で0.5トンの重量を引くところ、胸帯式では1頭で1.5トン引けました。
紀元前3世紀には胸あて式馬具が発明され、さらに洗練されました。引き革を胸あての横に直接つける形は現在でも使われる型です。中国の胸あて式馬具は遅くとも紀元前1世紀に発明されていたようです。
太陽の黒点の知識

西洋では17世紀以前まで、太陽の黒点は水性や金星の太陽面通過と説明されていました。中国では紀元前4世紀には太陽黒点の観測がされていました。現代の天文学者も古代中国の観測記録を分析しています。
地図の作成法
2世紀、張衡が碁盤目で地図を作成する方法を採用し、地図作りの科学が大きく発展しました。3世紀の『晋書』では目盛りや高低差の測定など地図作りの6大原則が書かれています。
ボーリング(鑿井〈さくせい))技術
中国でボーリングが始められた動機は塩を探すためでした。紀元前1世紀、高度な塩水汲み出し法が開発されていました。1,400mほどの深さまで掘ることができたそうです。1834年には中国式ボーリング技術はヨーロッパでも取り入れられ、1841年には石油採掘にも使われるようになりました。
他にもたくさんある発明
この記事では紹介しきれないほどの発明があります。ざっと挙げてみましょう。
- ベルト駆動(紀元前1世紀)
- 吊橋(1世紀)
- サイバネティック機械(3世紀)
- 蒸気機関の基本要素(5世紀)
- 弓形アーチ橋(7世紀)
- 漆(紀元前13世紀)
- 一輪手押し車(紀元前1世紀)
- あぶみ(3世紀)
- アルコール分の強い酒(紀元前11世紀)
- 生物学的な病害虫防除(3世紀)
- 傘(4世紀)
- 石油と天然ガスの利用(紀元前4世紀)
- 釣り竿リール(3世紀)
- 鎖ポンプ(1世紀)
- 凧による人間の飛行(紀元前4世紀)
- パラシュート(紀元前2世紀)
- 熱気気球(紀元前2世紀)
- 舵(1世紀)
- マストと帆走(2世紀)
- ヘリコプターの回転翼とプロペラ(4世紀)
- 化学戦争、毒ガス、発煙弾、催涙ガス(紀元前4世紀)
- 弩(紀元前4世紀)
- ロケットと多段ロケット(11~12世紀)
- 銃、大砲、臼砲、連発銃(13世紀)
なぜ科学技術の停滞を起こしたのか?
いかがだったでしょうか。現代文明の基礎となった発明が多く、ヨーロッパと比べて、中国と距離が近い日本は発明の伝来が早くなるメリットがありました。
これほど発明にあふれた中国が近代になって、科学技術の停滞を起こした理由はいろいろな学説があります。政治、文化、宗教などいろいろな理由があるかもしれません。個人的には、中国は通常どおり発展していたが、暗黒時代のヨーロッパが中国の技術を取り入れ、新大陸の資源により異常に発展したという見方もできるかもしれません。皆さんはどう考えるでしょうか。
参考文献
中国の科学と文明 河出書房新社 2008年